すもうは「相撲」と書きますが、「あいなぐる」と読めるから、
ずっと気になってたのですが、歴史を見て調べてみると
紀元前23年7月7日(旧暦)に野見宿禰(ノミノスクネ)と
當麻蹶速(タギマノクェハヤ)が捔力(スマイ)をとり、
試合は主に蹴り技がメインで、最後は宿禰が蹴速の
脇骨を蹴り折り、更に倒れた蹴速を踏み付けて腰骨を
踏み折り、殺したとあるから、当時の相撲は打撃を主とす
る格闘技であり、負けた相手にトドメの一撃を加えて殺
した上、それが又賞賛されたとあるから、現代の相撲
とはルールも意識かなり違いますね。
猪名部真根(イナベノマネ)は木工職人で、石を台にして、
斧で木を削ってました。
一日中削っても、誤って刃を傷つけることはありません
でした。
そこへ雄略天皇が、やってきてこのことを不思議に思い、
「間違って刃を石に当てることはないのか」と尋ねると、
真根は「決してありません」と答えた。
そこで天皇は女官を集めて、着物を脱がせ、ふんどし
を締めさせて、人前で相撲をとらせた。
真根はしばらく休んで見てから、仰ぎながらまた木を
削り始めた。だが、誤って刃を傷つけた。
これを見た雄略天皇は
「どこの奴だ。私を恐れずに、不貞の心でみだりに軽々
しい答えをして」と責めた。
そして刑吏に渡して、野で処刑しようとした。同僚の工
匠は真根を惜しみ嘆き、歌を詠んだ。天皇はこの歌を
聴いて反省し、真根を赦すという話です。(雄略天皇こわっ!)
寺社の建築,修繕などの募金を目的とした勧進相撲は
江戸時代には基盤ができたが、後には勧進は名目だけ
となり,都会や繁栄地で盛んに興行されるようになった。
また江戸時代には座頭相撲とそこから派生した女相撲の
興行も行われていたそうです。
盲人同士、また盲目の男性と晴眼(はっきり見える)の女性
との取り組みによる相撲
「女相撲」は明治時代まで見世物として存続していた。
雨乞いの儀式として行われたという記録もあるそうで、
神聖な相撲を女にさせたと龍神様が怒って雨を降ら
せるそうです。(神様を利用してるような)
ずっと気になってた「あいなぐる」と読める「相撲」の
疑問が解けました。
突く殴る蹴るの三手の禁じ手・四十八手・作法礼法等が
神亀3年(726年)に制定されたとあるから、それ以前の
野見宿禰の「必殺蹴り」と結びつきました。
相撲に関する話はまだまだ、たくさんありますが、また
おもしろそうなのがたまったら、紹介したいと
おもいます。
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