わからないことを理解するのに大切なのは強力な原動力

私はパソコン歴は結構長く、仕事でもプライベートでもずっと使い続けてきたし、自分がやりたいことは一通りこなしてきたつもりだったので、それなりに自信もありました。ところが軽い気持ちでブログでもやってみようかと始めたら、一気に奈落の底に突き落とされた気分になりました。ブログ作成をワープロ(古いかな)やワードの延長ぐらいに思ってたのが、これまでに自分が経験のない、phpだとかCSMとか聞いたこともないのやhtmlなど聞いたことはあるけど、実際には内容は全然理解してない用語や概念などを筆頭に、それらを解説してる本やサイトを見てみると、ここでも専門用語がたくさん出てきました。それで、一時はあきらめかけました。こんな経験は超がつくくらい久しぶりのことでした。

こんな経験とは、あれもわからない、これもわからないから始まり、救いを求めて解説を読んでみると、そこで使われてる語句の意味がわからない、と漫才のネタになりそうなくらいの窮地に陥った状態です。これに近い経験を小学校4、5年の頃に経験したことを思い出しました。その頃は学校で将棋が大変流行っていて、私も友達に教えてもらい夢中になったのですが、あまりにも弱すぎて、観戦してる中に学校で一番強いとウワサの主が、私が指す度にあざ笑うのが悔しくて、意気込んで本屋で将棋の本を何冊か買い勉強しようとしたのですが、その本の説明は大人向けの文章であり、しかも、やはり専門用語がポンポン出てくるのです。そのとき私がとった方法はその本を投げ出す代わりに、分厚い国語辞典と将棋の専門用語の解説書でした。それらを武器にどうしたかというと

①まず将棋の本を読む。途中で意味がわからない箇所に出くわす。

②単に言葉の意味であれば国語辞典で調べる。

③そうではなく将棋特有の言い回しや、専門用語なら将棋用語で調べる

④ ②③でも理解できないときは、わからないままではイヤなのでわかったふりで(完全に自      分の推測)済ます。

⑤こうしてひと区切り読み終えたら、辞書なしで読めるまで繰り返し読む。

こうして①~⑤の繰り返しで一冊を読み終える頃には本は、何度も読み返したため膨れて厚くなってました。二冊目からは国語辞典以外はほとんど(頻繁に出てくる将棋用語はもう覚えて自分でも使うようになってました)必要としませんでした。あのとき嘲笑われた悔しさがあったからこそ出来たことは明白です。そのことを今、思い出したのです。

あの日嘲笑われた「悔しさが強力な原動力」となり、挫折せずに突き進めたわけです。
そうか、ブログもそれに代わる原動力を見つければ!

今のインターネット全盛時代に、わからない、出来ないと弱音を吐く私を、必死でやればできるよと、あの日の私が言ってる気がしました。元気出てきました。わからなければ調べる。笑われてもまずは一通りやってみることが、今出来ることだし。

Done is better than perfect. 「完璧を目指すよりまず終わらせろ。」
フェイスブックの創業者マーク・ザッカーバーグさんの言葉を胸に頑張ります。

 

コメント