毎年3月3日に行われるひな祭りには
女の子のいる家庭では、友達なども呼んで
「きょうはたのしいひなまつり」を歌ったり
雛あられや菱餅、ちらし寿司を食べたり、はまぐり
のお吸い物に舌鼓をうつ人や、右大臣に負けてはな
らぬと白酒をぐいぐいと飲むかたもいるのかいない
のかはわかりませんが、みんなでワイワイガヤガヤ
するのは楽しいものです。
ここで まさかのミステリー。
何と上の写真の一番上のお方を
お内裏様とお雛様という呼び方はしません
というはなしです。えっ?
ひな壇の人形はみんなお雛様
じゃ、何て呼べば?
ってなりますよね。
実は、男雛(親王)、女雛(親王妃)と呼ぶのが正しい。
だれもが知ってる「うれしいひなまつり」は、
サトウハチロー(当時のペンネームは山野三郎)の
作詞、作曲は河村光陽で、1935年(昭和10年)に、
作られて、翌年発表し大ヒットしたそうですが、発表
した後に、サトウハチローは、歌詞の間違いに気づいたが
時すでに遅しで、ずっと悔やんでいたそうです。
更に、赤いお顔の右大臣♪♫と出て来ますが、上の
画像を見るとわかりますが、右大臣は向かって左側の
色白の若者になりますが、実際に赤いお顔をされてるのは
向かって右側の年配の左大臣です。
ひな祭りの由来
昔、中国で暦上で奇数が重なる日(3月3日、5月5日、7月7日等)
に邪気を祓う行事が行われていて、3月の上旬の巳の日に草や藁
で作ったひとがた(人形)で自分の体をさすって邪気を移し
その人形を川に流して厄払いをするという行事がありました。
一方、日本では、宮廷の子女たちの間では紙で作った人形で
遊ぶ「ひいなあそび」というのがあったので、それと結びついて
「流し雛」という形で定着しましたが、だんだん人形作りが
発達し、華やかさを増してくると、それを飾って楽しむ
というふうに変化していき、現在に至っていると言われてます。
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