こどもの日にちなんだものといえばほか
にも、「五月人形」「柏もちやちまき」
などあるけど、その中でもダントツは
屋根よーりたーかーい
「こいのぼり」
を思い浮かべますよね。
そこで、
「どうしてこいのぼり?」
こんな疑問も持つのですが、たいていは
知らないままいつのまにか大人になって
しまいます。
そうこうするうち、運のいい人は結婚し
こどもも生まれ、楽しい家庭が。
そして、、、
ある日我が子の口から突然
「こどもの日はいつからあるの?
なんでこいのぼりを上げるの?」
Xデーに備え今こそ調べましょう。
この記事はこっそり一人でみてください。
いつからこどもの日にこいのぼり をあげるようになったのか
1948年に祝日としてこどもの日と改名
される前は「端午の節句」とよばれ
奈良時代からありました。
そうして江戸時代になると
将軍に男の子が生まれると5月5日に
「のぼり」
を立てたのが、始まりだそうです。
我が子の誕生を祝い成長を願うこの
風習はとうぜんまわりの武士たちに
も広がっていきました。
それを見ていた、庶民のなかでも
金銭的に裕福なものたちが、真似し
たいものが出てきます。
でもそこには大きな壁が!
「のぼり」は、家紋や家名などが
書かれているけど、当時は一般的には
武士にしか認められていなかった。
つまり
家紋や家名はNG
「ウーン、でもなんとか目立ちたい」
じゃなくて、祝いたいという思いの
苦肉の策としてあらわれたのが
文字の代わりに鯉の絵をあしらった
「こいのぼり」
でも、なんで鯉?
さあ、いよいよ長年の疑問に
終止符を打つときがきました。
こどもの日にこいのぼりをあげる意味は
こいのぼりの「こい」は言わずと知れた
「鯉」ですよね。
川や湖などに生息する淡水魚です。
ここから話が一気にふくらみます。
世界で6番目に長い川で有名な中国の
「黄河」
この川の上流に竜門という滝があるそうな。
そして、なんと竜門を登ることのできた鯉は
竜になるという話が、「後漢書」という書物
に故事として出てきます。
ここから立身出世することのたとえで
よく使われる
「登竜門」
ということばが。
この話は我が子の成長や出世を願う親の
気持ちと見事に結びつきますよね。
こうして鯉の絵を描いた幟(のぼり)
「こいのぼり」が誕生しました。
さらに、「鯉」にはほかのイメージも
あったのです。
まな板にのせられた鯉はジタバタしないと
いうことから、
「潔い」というイメージを持たれているん
だとか。
私は、以前鮮魚店でバイトしてて、空輸で
届いた鯉のウロコ取りをしてたときに、
途中から、突然ものすごく暴れられた
記憶があります。
あのときは死んでるものと思ってウロコ取り
してたから、びっくりしたのなんのって。
今でもたまに思い出します。
このはなしは内緒です。
柏(かしわ)やちまきを食べるのにも深い親の願いが
こどもの日に一般的に食べられるのが
関東ではかしわ(柏)
関西ではちまき(粽)
なんと、(知ってたらすいません)
ここにもグッとくる親の愛が感じられる
思いがこめられてました。
柏の葉は新芽が出るまでは、古い葉が
落ちないということから、
新芽を子、
古い葉を親
にたとえ、子が生まれるまで親は死なない
すなわち、ずっと子々孫々まで続く
「子孫繁栄」の意味があるそうな。
私のようにただパクパク食ってはなり
ませぬ。
今のちまきはバリエーション豊富ですが
奈良時代に中国から伝わったころは、
茅(ちがや)という雑草の葉で巻いていた
ため、茅巻き(ちまき)という名前で
呼ばれるように。
茅(ちがや)には邪気をはらう力がある
と考えられていたために使われてたのが、
いまでは茅巻き(ちまき)という名前だ
けがのこってます。
さいごに
こどもの日が、昔は「端午の節句」と
よばれ、古くは奈良時代にまでさかのぼる
ことを知り、驚きもしたけど、なぜか
あたりまえというか、そうだろうという
矛盾するような気になった。
子を思う親の愛情は今も昔も変わらぬ
ものだという事実を教えられたような
気がし、ホッとする。
こいのぼりの成り立ちひとつをとっても
一つの物語ができるほど奥が深いし、
いままでなんとなくやってきたものが、
つぎからは尊いもの、次の世代にもぜひ
伝えたいという思いが少しでもめばえる
手助けになれたらうれしいです。
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