大屋政子のセレブ度は超弩級!あなたの目と耳は一生釘付け

エンタメ

前にオノ・ヨーコについて書いてたら、もう
ひとりスゴイのを忘れているぞとの神から
のお叱りの声(多分幻聴でしょう)がありま
した。

君の名は?じゃなくてその人の名は

「大屋政子」

知ってます?知らない?まあ、そんなことは
どうでもヨシコさんで、パスして

最近の日本では見られないぶっ飛んだ
真のセレブの話です。

 

 

 

 

大屋政子は派手ないでたちで過酷な生きざまをカモフラージュしてた

あなたは

「大屋政子」って知ってます?

大正9年生まれの彼女は平成11年に胃癌
のため78歳でなくなりましたが、

生前はよくテレビにも出演して茶の間でいい
意味でも悪い意味でも関心をさらっていまし
た。

まず出で立ちからして

ふんわりした体型に、
ピンクのミニスカート
で周りのみんなを釘付けにし

年齢詐称に抵触するほどの高い声で
しゃべって更に度肝を抜き

彼女の会話のなかでよく出てくる

「うちのお父ちゃん」というセリフ

これが、私の脳裏に刻印されたのかな
と思うくらいハッキリ、クッキリ、しっか
りとインプットされ消去不可能。

この調子で歴史年表や、元素記号を
覚える教材があればと悔しがる今日この頃。

 

彼女はもともとが、お嬢様だったのですが、
父親が心臓発作で他界したのを期に生活
が一変し、壮絶な辛苦を味わいます。
このことがきっかで
「没落したらあかんねん」というのが信念に
なります。

その後、ときの「帝人」の社長 大屋晋三
妻になります。それがまた不倫の末の略奪婚
というから、驚きます。

あっ、この「大屋晋三社長」こそが

「うちのお父ちゃん」なのです。

名言も多く残していて、その中でも私が
特に感銘をうけたのが

人生の戦いにおいて、相手に
負けるよりは、自らに負ける場合が多い。」

大屋政子さんが旦那さんに最後までぞっこん
だったのがわかるきがします。

旦那亡き後も会社を切り盛りしていき繁栄を
きわめた彼女の晩年は

信頼されていた部下に裏切られ人間不信に
なっていったそうです。

でも病床の彼女を看病したのは絶縁関係に
あった一人娘の登史子さんで、死の直前に
親子の和解をしたそうです。そんな彼女が
最後に言った

「こんなに弱い母を許してね」

というのが、底知れぬ優しさを感じます。
優しさは真の強い人でしか持てません。


大屋政子は元祖セレブでありミーハーでもあった

大屋政子は元祖セレブでありミーハーでもあった

ひとから注目や関心を集めるひとをセレブ
というなら、

「大屋政子」さんは間違いなくトップクラス
だと断言できます。

 

類は友を呼ぶ」ってありますが、

大屋政子さんの交友関係をみると

女優、歌手など著名人がズラーリ

オードリー・ヘプバーン

ロッド・スチュワート

ミッテラン大統領夫人…

しかも第78代内閣総理大臣を務めた

宮沢喜一も彼女にかかれば

「喜一ちゃん」ですからね。

 

そんな彼女はロッド・スチュワートが
大のお気に入りだったそうで

大阪公演の際には、フェスティバルホール
内に彼を見るためだけの特別控え室まで
用意させたとのこと。ロッド・スチュワートの
楽屋よりも広かったというオチは笑えました。

浪速のおばはんは、商魂たくましく

金遣いもカッコイイ!

 

破天荒ぶりはさらに続き、ベルサイユ宮殿に
行ったら閉館日だったそうです。
そしたら、ふつうはあきらめて出直すとか
になりますよね。

 

ところが、大屋政子は

「ミッテランはんに電話してお城を開けて
もろうたんえ」だって。

ぶっ飛びすぎ!

 

もうこのような豪快で面白くて優しくて

たくましい、まさに

「セレブの中のセレブ」はもう二度と

私の人生では見れないでしょうねと

思うと残念です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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